根津美術館『百椿図』展示2018

百椿図

(訪問:2018年1月19日、1月26日)

根津美術館の『百椿図』展示

江戸時代の初め頃の寛永年間(1624〜1644)に興った椿愛好ブーム。珍しい花容の椿を求めて多彩な園芸品種が生み出されただけでなく、それを写した図譜も数多く作られました。その代表的な一つが『百椿図』(ひゃくちんず)です。
東京、南青山の根津美術館には、1995年に寄贈されたこの『百椿図』が収蔵されています。

根津美術館では、寄贈後に修理を経た後、企画展「百椿図 椿をめぐる文雅の世界」展(2012年1月7日〜2月12日)を開催、併せて様々な関連催事も行われました。
根津美術館百椿図展
・百椿図ギャラリートーク:2012年1月13日(金)、2月3日(金)
・百椿図講演会「百椿図と寛永文化」:2012年1月21日(土) 講演:野口剛(根津美術館学芸主任)
・百椿図講演会「草花図の衝撃 江戸初期の諸相とその後の展開」:2012年1月28日(土)講演:安村敏信氏(板橋区立美術館館長)

以後も、椿の花咲く頃の1月に恒例として『百椿図』が展示されています。
今年、2018年は1月10日から2月12日まで、展示室5において展示されています。
展示されるのは、「本之巻」の初めから「腰蓑」という品種の椿の絵までと、「末之巻」の途中の「敦賀」という椿の品種から最後の「大白玉」までです。
今回も私の好きな赤とピンクの八重の椿の花だけを組み紐を通して繋いだ絵は見られませんでした。展示ケースの大きさの関係で全てを見ることができないのは仕方ないのですが、いつもこの絵が見られないのは残念でなりません。

2018年の展示期間中の特別企画として、根津美術館学芸課長・野口剛氏によるスライドレクチャーと、花芸安達流・二代主宰安達曈子氏による椿の活花が披露されました。
次回の『百椿図』の展示は、2019年1月10日(木)~2月17日(日)です。

 

『百椿図』スライドレクチャー

今年2018年の展示期間中、1月19日(金)13:30から、根津美術館学芸課長の野口剛氏によるスライドレクチャーがあったので参加してきました。
定刻の30分も前から地下講堂には参加希望者が集まり初め『百椿図』の人気を伺わせます。講堂内は100名以上の参加者の静かな熱気にあふれていました。
講演は、『百椿図』が17世紀の江戸時代に成立した椿をテーマにした絵巻で、狩野山楽の筆と伝えられ、1995年にキッコーマンの社長など勤めた茂木克己(もぎかつみ)氏より寄贈されたことなど、あらましの紹介から始まりました。以下に内容を簡単にまとめ書きします。

<以下レクチャーのまとめ。文責つらつら椿管理者>

『百椿図』には大きな特徴が3つあります。
① 13枚2巻の巻物に100種類以上の園芸品種の椿の絵が描かれている。
② 様々な器物を花器として活けている。
③ 皇族、公家、大名、連歌師、俳人、僧侶など49人による和歌や俳句、漢詩の賛が添えられている。
その賛の最初人物が、水戸黄門で有名な徳川光圀。<いさはや>という椿に寄せられた賛は、万葉集を本歌取りした以下の和歌でした。
きみもいざ はやゆきて見よ こせやまの つらつらつばき はるすぎぬまに
続けて椿の絵をスライドで紹介しながら所々で解説を加えてゆかれました。

「超花王」という椿では添えられた漢詩に見えた「八千年」という言葉に着目し、『百椿図』では度々「八千」などの言葉が出てくるが、これは中国の大椿が長寿であることに由来すること。塵取りの上に<紅散椿>をあしらい、その横に羽箒を描くなど気の利いていること、聖護院大根に挿してある椿の絵は、当時挿し木を分けてもらう時に大根いさして持ち帰ったという説があり、それに由来するのではないか、<かうし>が載せられているのは連歌用の懐紙であることなどが説明されました。
そもそもどうしてこの『百椿図』が描かれたのか。その理由は、江戸時代の元和年間(1615~24)から寛永年間(1624~44)にかけて椿ブームが興ったことが示されました。椿は日本在来種であり品種改良しやすくかつ栽培も容易であったので人気を得ました。当時の椿愛好家の人々は、公家や大名など文化人が多く、なかでも、秀忠、家光、後水尾天皇、公家の西洞院時慶、大名茶人の金森宗和、僧侶で『百椿集』を著した安楽庵策伝などが著名でした。こうした文化人の熱狂がブームを支え、共感した人々の営みとして『百椿図』が誕生したものと思われる、とのことでした。

発注者は松平忠信、その子の信之に引き継がれ、親子二代によって制作が進められました。何故わかるかというと、『百椿図』に賛を寄せている林羅山の『羅山詩集』巻70に、松平山城守忠國の求めによって<牡丹椿>と<酒呑童子椿>の賛を書いた旨が記されているからです。更に作中の器物には松平家の家紋である丸にカタバミの家紋が見られるものがあります。

賛者のひとりである鳳林承章は日記の『隔蓂記』(かくめいき)の中で<源氏椿>に賛を書いたことを記していますが、それを知人から頼まれたと書いてあることから、『百椿図』の賛は、賛者のネットワークによってリレーされることもあった事がわかります。
椿の絵には賛があるもの、ないものがあります。賛のない絵に品種名の札が付けられたものがあった事から、賛者は品種名に寄せて賛を書いて、書いたら札を外したものと考えられます。つまり品種名の札が付いたままであったということは、未完の賛であったということです。

<以上、レクチャーより>

これらの絵が誰の手によるものか、『百椿図』と共に発見された狩野伊川院栄信の折紙によれば「山楽真筆」とあるので狩野山楽の筆と考えるのが筋でしょう。ですが、野口氏は画風が合わないと疑問を呈します。
『百椿図』の画風は写生というよりイラスト的であり、日本の古典的な描き方であるといいます。その特徴は、立体がぎこちなく、その一方で表面の細かな模様などは克明に書き込まれおり、これらは京都の狩野派ではないのか、とのことでした。
画風から実際に描いた絵師が誰かを推察するというのは、いかにも美術家の視点だと思い、大変興味深い話でした。

 

茶室で楽しむ椿の花芸―『百椿図』に寄せて―

2月2日(金)から4日(日)の3日間、『百椿図』を再現しようという試みが行われました。花芸安達流・二代主宰安達曈子(あだちとうこ)氏による活花です。
様々な器物を花器に見立てて椿を活けて描かれた『百椿図』ですが、この特別展示ではそれを実際の器物と椿花で再現しています。また曈子氏が『百椿図』の着想に習いながら、新たな発想で今風に椿を活けてもいます。場所は根津美術館の庭園に4棟ある茶室のひとつ、弘仁亭・無事庵(こうにんてい・ぶじあん)です。

根津美術館茶室 弘仁亭無事庵
根津美術館茶室 弘仁亭無事庵

弘仁亭・無事庵は池に面して開けた雰囲気の茶室です。季節になれば池に咲く燕子花(かきつばた)も望めるでしょうが、この時期は池も氷が張り、冬枯れの景色にかすかな水音が聞こえる静かな様子です。行ったのは初日の2月2日でしたが、前日に降った雪がそこかしこに残雪となり、冬らしい風情を添えていました。
美術館から池を目指して庭を下って行き、建物の裏手から回ると、突然、鮮やかな赤い色が飛び込んできました。池から流れる水辺に面した石の手水場に活けてある赤い椿でした。

根津美術館茶室 弘仁亭無事庵

裏手からやって来たというのに、思いがけずもてなしを受けたような嬉しい気持ちになります。入り口に回ろうと建物に近づくと、開け放たれた窓から奥の座敷の床の間に活けられた花が垣間見えます。

建物に沿って歩いて入り口へ。大きな沓脱石の向こうに縁側が見え、その上に青竹を荒い目で球体に編んだ籠に赤い椿の花をいっぱいに入れ、さらに窄んだ籠の口から細く長い葉を高々と立て活花が現れます。『百椿図』「本之巻」にある「鞠子」という椿をあしらった絵図そのままのようです。『百椿図』の世界はすでに始まっています。

根津美術館 安達流

茶室に上がると、右手の上段には『百椿図』を模して活けられた作品群が、左手には大きな青竹の花器と中心に作品が並べられており、訪問者を賑々しく出迎えてくれます。太く大きな青竹を床から天井まで渡す花器は初代考案のもの。安達流らしさを感じます。

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

源氏物語絵巻が描かれた多角体の大きな箱は貝合わせの道具だそうで、初代曈子氏から引き継がれたもの。

根津美術館 安達流

椿の「葉尽くし」の漆器に斑入りの金魚葉だけを活けた、なんともユニークでおしゃれな作品。漆器のデザインは初代曈子氏。

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

右手の上段並びの床の間には大きな青竹の花器に活けた椿。その下には大ぶりな青磁の平皿に水を張り、椿とともに丸めた竹籤が置かれます。右手最奥の地袋には豪奢な鳥籠が吊るされ、中には鳥の代わりに椿の花が。『百椿図』にはない図柄であるにもかかわらず、いかにも『百椿図』に載っていそうな雰囲気です。

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

次の部屋は狭くて薄暗く、右手の水屋の大きな窓から障子戸越しに明かりが入ります。その白い明かりが、棚に置かれた平たい茶碗に活けた濃桃色の椿を浮かび上がらせる様は、えも言われず美しいものでした。正座してしばらく眺めていましたが見飽きることがありませんでした。ふと左目の端に入るのは、30cmほどの黒漆の器いっぱいに盛られた椿の種子と、そこに差し込まれるように活けられた一輪の赤い椿です。

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

更に奥の部屋に進むと、正面に「椿」の文字を幾重にも重ねた書。安達潮花氏の手によるものです。書の右には小さな段をいくつか重ねた飾り棚があり、さりげなく椿の一輪挿しが置かれています。その部屋は最初に外から垣間見えた小室で、床の間には外から見えた活花、床柱には白い一重の椿が活けられています。

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

根津美術館 安達流

安達流は椿と縁の深い、もっと言えば『百椿図』と最も縁深い花芸の家です。現在の主催は二代安達曈子氏ですが、その祖父で、いけばな近代化の先駆者である安達式挿花創流者の安達潮花氏は、『百椿図』の写しを見出して世に知らしめた方です。かつての安達流の家の庭には椿が多く植えられ、やがてそれらは横浜のこどもの国椿園となりました。

初代曈子氏は椿をご自分のテーマの一つとされていましたし、『百椿図』をテーマにした花芸展も開催されました。
曈子さんと少しお話をしました。前日の雪のために開け放たれた茶室はとても冷えましたが、花にとっては適度な湿度があり気温が低くて傷みにくくていいとか、前日に準備が終わって池側の障子を開けた時、雪化粧の庭と活けたばかりの花々が一望できて、それがとても美しかったとか。他愛もないことですが、久しぶりにお会いした二代との楽しい会話でした。
椿は安達にとって大事な花、と彼女は言います。潮花氏から育まれた椿への思いは、初代曈子氏、二代曈子氏と受け継がれ、その椿とともに受け継がれた道具もまた新たな作品として歴史の一ページをここに生み出しているのだと感じました。

素晴らしい安達流の椿の世界を体験したひと時でした。