椿旅 南都伝香寺 散り椿(武士椿)

<訪問:2017年3月26日雨天>

筒井順慶を偲ぶ散り椿

 伝香寺(傳香寺:でんこうじ)の北門をくぐると、小さな庭の右手に大きな椿の木が現れます。伝香寺散り椿、別名武士椿(もののふつばき)。その名の由来は、常の椿と異なり桜のごとく花びらが一枚一枚散ることに由来するといいます。

伝香寺本堂に沿って立つ散り椿

 武士椿は本堂の軒まで届く高さまで枝を四方八方に張っていました。樹勢も良く、濃く茂る深緑色の葉の間に桃色の八重の花と蕾をたくさんつけ、ほぼ満開の状態でした。
ほぼ満開の散り椿

本堂のすぐ際に立っている

桃色の花と蕾をたくさんつけた武士椿

 花は八重に開いた鮮やかな桃色で立体的な蓮華咲き。その花心部では小さな花弁と雄しべが不規則に入り混じっています。次々と花咲く木の根元は、苔むした地面にはらはらと花弁が散っており、武士椿の由来を思い起こさせます。
桃色の八重の花

根元の様子


苔むした地面に花弁が散る

華やかな椿の根元にいらっしゃる小さな石仏は、この木を見守っているかのようです。

伝香寺散り椿と石仏

武士椿の由来

 伝香寺は戦国時代の大名、筒井順慶法印(1549~1584)の菩提所として建立されました。天平宝亀年間(770~780)にはこの辺りに唐風の庵が結ばれて実円寺と呼ばれていましたが、天正13年(1585)に順慶の母、芳秀尼(ほうしゅんに)が息子を弔うために香花の絶えざる寺院を建立したいと実円寺を再興し、古額を傳香寺と改めたそうです。
 堂側に供えた椿は、もとは筒井家にあったもので、芳秀尼が数ある椿の中から珍しく最愛であった椿を植えたのだといます。花の盛りに花びらを散らす姿は、若くして没した順慶になぞらえて、いつしか武士椿と呼ばれようになったという。
 芳秀尼が堂側に供えた椿は残念ながら文政4年(1821)に枯れました。そこで当時傳香寺と唐招提寺の長老を兼ねていた宝静(ほうじょう)が跡継樹を植栽しました。しかしまた昭和36年(1961)本堂修理の際にも枯れかけたので渡邊武氏が接ぎ木して仮植栽をおこない、昭和51年(1976)現在の位置に移されました。つまり現存の木は芳秀尼植栽の原木から数えて三代目となります。
 宝静(ほうじょう)は椿の愛好家であったようで唐招提寺で椿の増殖もしたそうです。奈良名三椿(傳香寺散椿:武士椿、東大寺糊こぼし椿、白毫寺五色椿)の選定や、武士椿と名づけたのも宝静香長老との説がありますが、定かではありません。

案内板

はだか地蔵尊として親しまれる地蔵菩薩。毎年7月23日の御更衣法要で法衣が取り替えられる。

データベース:

【名称】傳香寺散り椿(武士椿)
【大きさ・形状】樹高:4.5m、根元周囲:36.5cm
【品種】八重散椿
【花、葉】花形:八重蓮華咲、花径:10cm、花高:4.5cm、花色:桃色、弁数18、旗弁4、雄蕊と花弁分離、散椿。葉:長楕円または楕円形、有尾頭、鈍脚、平坦、細鋸葉、濃緑色
【花期】3月中旬~4月上旬
【所在】奈良県奈良市小川町24 傳香寺本堂東南側
【アクセス】JR奈良駅、近鉄奈良駅より徒歩10分
【備考】拝観:北門より入場、9:00~17:00、問合せTEL:0742-22-1120
公式サイト:http://www.isagawa.ed.jp/denkoji/index.html、

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参考文献:
南都傳香寺参拝の栞,傳香寺
傳香寺リーフレット奈良の三名椿,米川千秋
伝香寺散り椿(案内板),南都傳香寺