道後温泉は行くたびに「良い湯だなぁ」としみじみします。神話にも登場し、古代の天皇も訪れたと伝わる歴史の長い温泉です。聖徳太子が理想の国と称え、椿の枝が繁り真紅の花が咲く下を通ってゆったり遊びたいと歌った碑を残したという逸話から、道後温泉は椿と関わり深い場所となりました。
松山市民の最高の外湯
松山城の東、松山市駅から路面電車を20分ほど乗った終点が道後温泉です。中心にあるのは明治に建てられた道後温泉本館で、周囲に宿泊所や飲食店、土産物店などが広がります。
道後温泉本館は朝6時に開き、夜11時にしまいとなり、12月の1日だけある休館日を除いて年中入ることができます。我が家の風呂の如く入ることのできる最高の外湯を持つ松山市民が羨ましい限りです。湯質はアルカリ性単純泉、加温や加水をせずに源泉掛け流しを堪能できるのは、20度から55度の温度で8本もある豊富な源泉をブレンドすることで42度程度の適温にしているからだそう。
伊予松山の道後温泉は、兵庫県の有馬温泉、和歌山県の白浜温泉とともに古くから知られた日本三古湯の一つと言われます。「伊予国風土記」逸文に、神代から知られ、景行天皇、仲哀天皇、神功皇后など古代の天皇も湯に浸かったと記されています。
道後温泉には「湯釜」という奈良時代から使用されていたと伝わる特徴的な仕組みがあります。湯釜は大きな石造りの装置で、湯口から浴槽に湯を流し入れるものです。道後温泉の湯はもともと砂地のあちらこちらから湧き出していたので、それを集めて湯口から流し出すようにした仕組みが湯釜です。他では見られない湯釜は道後温泉の浴室に独特の風情を醸し出しています。
道後の温泉伝説
本館には「神の湯」と「霊(たま)の湯」にそれぞれ男女の湯、4つの浴室があり、湯の供給口である湯釜には大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱が彫刻されています。それはこの二柱にまつわる伝説が道後温泉に残るからです。
奈良時代の朝廷は各地の特産物や風土、伝承などを記録させた「風土記」の作成を命じました。伊予国を記した「伊予国風土記」は散逸しましたが、鎌倉時代後期に卜部兼方が著した「釈日本紀(しゃくにほんぎ):「日本書紀」の注釈書)にその引用が残されていて現在に伝わります。
「伊予国風土記」逸文には、大国主命と少彦名命の二柱が共に国作りをして各地を巡るうち、伊予で少彦名命が重病になってしまったので、大国主命が速水湯(別府)から湯を引いて少彦名命を浸したところ生き返ったとあります。別府から引いたとのなら湯は道後のものでない事になりますが、神話におけるこの地の温泉伝説であるとはいえるでしょう。
湯に浸かりながら二柱の石像が立つ湯釜を見ていると、側面に「ちはやぶる神代」という文字が読めました。全部は読めなかったので観光案内所で尋ねたところ、雑誌の資料を見せてもらえました。
「ちはやぶる神代ながらの出で湯にはあやにかしこき御霊さきはふ」
という歌を万葉仮名で刻んだものだそうです。出雲大社82代宮司・千家尊統(たかむね)という方の歌でした。神代から出る湯を畏れ多いほど偉大な神が祝福する、というような意味でしょうか。
出雲大社は大国主命をお祭りする社、少彦名命は医薬の神様で、温泉は医療と関わり深く、また温泉は湯神として古来より崇敬されてきました。様々な事柄が重なり関わり合って伝説となっていることを感じます。
道後温泉の始まりに、白鷺の伝説というものがあります。傷を負った白鷺が岩間から出る温泉で傷を癒していたので、人も真似てみると疲れが取れ病気も回復したというものです。白鷺伝説は浴室の陶板壁画で描かれたり、刻太鼓(ときだいこ)のある振鷺閣(しんろかく)の屋根の上に羽を広げた白鷺が乗っていたりして、道後温泉のシンボルとなっています。
大国主命と少彦名命の伝説と白鷺伝説は、いずれも温泉による傷病治癒の効果を示しています。現代の私たちも温泉で思わず「生き返る〜」と思うのはあながち遠くはいないようです。
聖徳太子の歌に詠まれた美しい椿の国
白鷺とともに古くから道後温泉に関わり深いものが椿です。これは「伊予国風土記」逸文に記された聖徳太子に関するとされる碑文の逸話に由来します。
碑文の内容は、法興6年10月(推古4年、596年)聖徳太子(厩戸皇子)が道後温泉に高麗の僧・慧慈と大和の豪族葛城臣を伴って訪れ、湯岡で歌を読み、碑にして建てたというもの。その歌は、温泉が人々に公平に恩恵を与えるのと同じように政治を行えば理想の国であるといい、伊予の連山を見て、『法華経』の五百羅漢が五百の衣笠をさすように椿の木が覆い重なっている下を通って遊びたいと、というようなものです。
温泉に理想郷を見出し、その理想郷に咲く花が蓮と共に椿なのでした。
椿に関する記載部分だけ書き出すと、
(原文)
「椿樹相●(广に隠)而穹窿実想五百之張蓋臨朝啼鳥而戯●(峠の山が口) 何暁乱音之聒耳 丹花巻葉而映照 玉菓弥葩以垂井 経過其下 可以優遊」(「法隆寺ハンドブック」より)
(読み下し文)
「椿の樹はおおいかさなって、丸い大空のような形をしている。ちょうど『法華経』にある五百の羅漢が、五百の衣傘をさしているように思われる。朝に、鳥がしきりに戯れ鳴いているが、その声は、ただ耳にかまびすしく、一つ一つの声を聞き分けることはできない。赤い椿の花は、葉をまいて太陽の光に美しく照り映え、玉のような椿の実は、花びらをおおって、温泉の中にたれさがっている。この椿の下を通って、ゆったりと遊びたい。」(梅原猛『聖徳太子』より)
聖徳太子の歌を記した碑文、通称「聖徳太子湯岡碑文」の所在は現在では不明ですが、伊予湯岡碑文を記した「聖徳太子道後温泉碑」という碑が、道後温泉別館飛鳥乃湯泉中庭に設置されています。碑文の文字を聖徳太子直筆とされる「法華義流」から抜粋し、不足の文字は書家・鈴木施光氏の作字で補ったという凝りよう。以前に見た石碑と違うので作り直したようです。
飛鳥乃湯泉、椿づくしの休憩室「椿の間」
聖徳太子道後温泉碑が中庭に建つ飛鳥乃湯泉は2017年に道後温泉別館として開館しました。建屋は飛鳥時代の建築様式を取り入れたといいます。湯は本館同様、源泉掛け流しです。
中庭は椿の枝葉が互いに茂り赤い花が咲くという歌の情景を再現したもの。椿の木が植栽されるそばを湯が流れ、湯玉(湯が沸騰して沸き立つ泡、玉になり飛び散る熱湯)が置かれています。湯玉もまた道後温泉の重要な象徴の一つです。訪問時の2024年2月の中庭は写真家で映画監督の蜷川実花さんによる「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉中庭インスタレーション」が展開中でした。
飛鳥乃湯泉の建物に入ると、エントランスは木をふんだんに使っていて板張りの床が心地よく出迎えてくれます。正面奥の階段越しに見える壁には和釘によって描かれた巨大な湯玉の装飾壁。圧巻です。館内は「太古の道後」をテーマに、道後温泉にまつわる伝説や物語などを愛媛の伝統工芸と最先端アートの作品で演出されています。
湯は本館同様、源泉掛け流し。女性浴室の湯釜の後ろ側の壁は砥部焼の陶板壁画で作られた額田王の歌にある熟田津(にきたつ)の景色が描かれています。この壁を背景に日の出から日没に船が回路をゆくプロジェクションマッピングが行われ、万葉気分を盛り上げてくれます。浴槽を囲む3つの壁も砥部焼の陶板壁画です。
今回の飛鳥乃湯泉の目的は、5つある個室休憩室の一つ、湯岡碑文の「椿の森」を今治タオルで描いたという「椿の間」です。案内された和室の障子戸を開けると、大きな椿のモチーフが目に飛び込んできました。壁の一面を覆うのは「椿の森」を描いたタオル地の壁画です。その手前に大きな椿の花のモチーフが小型タオルを折りたたんで立体的に表現されていました。椿花を作るタオルをよく見ると、様々な色が細かく織り込まれていて実に複雑です。「五彩織り」という技法を用いて点描画のように椿を表現しているのだそうです。
入浴後にゆったり休みながら椿タオル絵を眺め、お茶と菓子をいただきました。お菓子や湯呑み、灯りの中央部に至る図まで椿文様が用いてありました。
椿の湯
道後温泉の3つの湯のうち椿の湯は市民の公衆浴場的存在で、気取りなく入浴料も安めです。1953年に四国で第8回国体が開催されるのに合わせて建設、1984年と2017年に改装されました。花崗岩でできた浴室は落ち着いた雰囲気です。もちろん浴槽には湯釜があり、湯は源泉掛け流しです。
道後温泉あれこれ
営業しながらの保存修理
明治27年(1894)竣工の道後温泉本館は124年を経た2018年に老朽化に伴う大々的な保存修理を行いました。国の重要文化財でありながら日々入浴に供されるという道後温泉本館は、修理中も部分開館して営業を続けたというので驚きです。6年を経て2024年7月11日に全館リニューアルオープン、2024年12月にはすべての工事が完了する予定です。保全修理の様子は公式サイト等で詳しく見られます。修繕が終わっても保全活動は今後も末長く続くことでしょう。
本館二階席畳敷大広間と振鷺閣
修理中に入浴できる経験は貴重でしたが、二階にある畳敷の大広間の休憩室に入れないのは残念でした。ここで湯に入る支度をしますが、衣類などを納めるために一人ずつあてがわれるのは木製の衣装盆である「乱れ箱」。古くからある風呂屋という感じが強く伝わります。休憩室の窓際から低い手摺り越しに外を眺めると、人々がゆったり街中を歩く様子が見えて長閑な旅情を誘います。
3階から上がる振鷺閣は道後に時を告げる「刻太鼓」の部屋になっています。改装前に一度だけ入ったことがありましたが、赤いギヤマンの窓越し外を見ると、まるで赤々と燃える夕焼けの只中にいるようで、不思議な興奮と郷愁を覚えました。あの赤色は忘れることができません。朝、昼、夕の3度打ち鳴らされる刻太鼓の音は「日本の音風景100選」に選ばれています。何度も聴きたい道後温泉のサウンドスケープです。
又新殿(ゆうしんでん)
本館東面に正面入り口がある又新殿は日本唯一の皇室専用浴室です。1899年(明治32年)に銅板葺と檜皮葺の木造3階建てとして建設されました。今は見学可能な施設で室内を見学できます。御湯殿、玉座の間、御居間・・・故実に乗っ取り繊細で贅を尽くした室内は一つ一つ見ていて時間がいくらあっても足りません。
商店街にて
入浴の合間に商店街をぶらつくのは温泉街の楽しみです。お土産を買ったり食事や喫茶、お酒を楽しむお店も事欠きません。お土産やさんには当然のように椿をモチーフにした商品も多くて選択に悩みます。今回は今治タオルなどを買いました。
・「ここちいいタオル」(十五万石、伊織)
・「姫ひのきトレー」(石真堂) 「luumu”ルゥム”とはフィンランド語で「梅」を意味します。」あ、梅だったのね。でも椿っぽいし可愛いから買います。
・愛媛ヒノキの椿をモチーフにしたブローチ(Little Branchi)
商店街で目を引くのは椿がデザインされた「つぼや」の看板。残念ながらまだ一度も入ったことがありません。
蔵を改築した雰囲気の良い「道後の町屋」というお店を見つけたので一息入れることにしました。店内に椿文様の飾り皿を発見。こんなところにも椿が・・・。嬉しくてお店の方に許可をいただいてカメラに納めました。
道後温泉の周辺
道後温泉の近くにある佐爾波神社(いさにわじんじゃ)は朝の散歩に最適です。平安時代に建立したと伝わる古社で、長い階段を登りきると正面に朱色の楼門が現れます。そこから左右に巡る回廊が御本殿を四方から取り囲んでいます。京都の石清水八幡宮を模したと言わる八幡造りの社殿で国の重要文化財です。立派で美しい神社です。回廊の脇にはツバキが生垣のように植栽されていました。
佐爾波神社は松山市が毎年行う椿を見て歩くイベント「道後温泉つばき巡りウォーク」の立ち寄り先の一つです。
近くには一遍上人生誕の地と伝わる宝厳寺(ほうごんじ)、松山市立子規記念博物館、道後公園などもあり、名所や椿を見ながらの散策が楽しめます。
<訪問日:2023年12月5-7日 晴れ、2024年2月17-19日>
データベース
【名称】道後温泉
【所在】
道後温泉本館:〒790-0842 愛媛県松山市道後湯之町5番6号
道後温泉別館 飛鳥乃湯泉:〒790-0842 愛媛県松山市道後湯之町19番22号
道後温泉 椿の湯:〒790-0842 愛媛県松山市道後湯之町19番22号
【備考】
営業時間/定休日/入園料:
道後温泉本館:6:00〜23:00/12月の1日/入浴料大人700円、休憩室利用は別料金
道後温泉別館 飛鳥乃湯泉:6:00〜23:00/12月の1日/入浴料大人610円、休憩室利用は別料金
道後温泉 椿の湯:6:00〜23:00/12月の1日/入浴料大人450円
問合せ:
道後温泉本館に関する内容:089-921-5141
飛鳥乃湯泉に関する内容:089-932-1126
椿の湯に関する内容:089-935-658
【公式サイト】https://dogo.jp/
アクセス
・J R松山駅より路面電車で25分、
・松山市駅より路面電車で20分
参考文献
道後温泉公式サイト:https://dogo.jp/
道後温泉各種パンフレット
道後観光案内所 (道後温泉旅館協同組合)
聖徳太子道後温泉碑・解説板、監修:奈良芸術短期大学授/愛媛県理蔵文化財センター理事長 前園実知雄
法隆寺ハンドブック,聖徳宗総本山法隆寺
聖徳太子(上),梅原猛,小学館,2002.2.20
えひめの歴史文化モノ語り 古代伊予国の伝説記すー釈日本紀ー,大本敬久(専門学芸員)、愛媛県歴史文化博物館:https://www.i-rekihaku.jp/research/monogatari/article/020.html
残したい”日本の音風景100選”パンフレット:https://www.env.go.jp/content/900400154.pdf
伊佐爾波神社:https://isaniwa.official.jp/