「英勝寺侘助」は、鎌倉の徳川家ゆかりの古刹、英勝寺のものげ原木のワビスケツバキです。花は紫色を帯びた濃い桃色の一重、猪口咲きの極小輪。12月から3月にかけて花を咲かせます。1964年に渡辺武氏が発見、1971年に鎌倉椿つばき同好会が英勝寺侘助と命名し発表しました。昭和38年(1972)に鎌倉市の天然記念物に指定されました。
英勝寺について
英勝寺は鎌倉で唯一の尼寺です。徳川家康の側室だったお勝の方(後の英勝院)を開基として、寛永13年(1636)に水戸藩が太田道灌の屋敷跡と伝わる扇ガ谷の当地に創建しました。勝の方は道灌の四代の孫・康資の娘であり、水戸藩の初代藩主となった徳川頼房の養母であったことが背景にあるのでしょう。その縁は初代庵主に頼房の娘で光圀の姉である小良姫(清因尼)を門主に迎えて開山とし、以降も水戸徳川家の姫が庵主を務めることで続き、水戸様の尼寺と称されました。法要は高貴な姫の代わりに徳川家の菩提寺である増上寺(東京都港区)の僧侶が執り行い、徳川家と縁が深かく絶大な庇護を受けていたことが伺えます。
そのことは境内を見ていても感じます。仏殿、山門、祠堂、唐門(祠堂門)、鐘楼など重要な建物は創建当初のまま残っていますが、それらは繊細な彫刻が施されていたり、三つ葉葵の紋が付けられていたりしており、国指定重要文化財に指定されています。ご本尊の阿弥陀如来は徳川三代将軍家光寄進と伝えられています。
英勝寺侘助の原木は、開基英勝院の位牌を安置する祠堂の前にあります。
入口から入って仏堂の方へ進み、右手後方の唐門(祠堂門)をくぐると、目の前の石段の踊り場越しに英勝寺侘助が枝を伸ばしているのが見えます。踊り場から右手に上がると祠堂ですが建屋に覆われていて直接見ることはできません。
英勝寺侘助の原木
幹は地面から3〜40cmくらいで3つに分かれ、複雑に入り組んで、祠堂の反対側へ傾くように伸びています。石段の踊り場の方へも枝を伸ばしているので枝をすぐ近くで見ることがでます。樹は全体に傷んでおり、元気な枝が少なく、葉も落ちています。樹勢が良くないのは最近鎌倉で増えたタイワンリスの食害のためかもしれません。かなりの食痕がみられます。
鎌倉市の公式資料によると、三岐した幹はそれぞれ、47cm、44cm、42cm。根回りは80cmです。高さは5〜6mくらいでしょうか。
樹についた花数が少なく、高所にあってなかなか見えませんでした。落ちた花を拾ってみてみると、紫を帯びた濃い桃色。
英勝寺のワビスケについての鎌倉市の資料
この木について鎌倉市に問い合わせると、教育委員会文化財課からメールで返事をいただきました。
「英勝寺のツバキにつきましては、「ワビスケ」名で市の天然記念物に指定されています。
大きさ、指定理由などについては『鎌倉の文化財』第二集に記載があります。当該図書は市の図書館で閲覧が可能です。」
早速『鎌倉の文化財』(鎌倉市発行、昭和47年(1972)を調べると、「英勝寺のワビスケ」として記載がありました。
幹囲74.5cm、天然記念物に昭和38年年7月17日指定。いつ植えられたかは不明。「ベニワビスケという品種で三・四月ごろ、小さな花をたくさんつける」と。そして花について、「京都大徳寺総見院の本当のワビスケと花の色が少し違う。京都のは、紅でもむしろ赤に近い色をしていて、白い大きな斑がはいるが、英勝寺のは純粋な桃色で班はない。総見院のものは利休遺愛と伝える古木中の古木で、北村四郎氏の計測によると幹のまわりは170cmもある。」とありました。ご丁寧にもベニワビスケとワビスケの花について、津山尚『日本椿集』(1966)の彩色図を参考として紹介しています。
これを読んで、植えられた時期や由来がわからなかったのと、なぜ総見院の胡蝶侘助が比較に出されたのかという疑問が残りました。
そこで別の資料を探したところ、『鎌倉市文化財総合目録ー地質・動物・植物篇ー』(鎌倉市発行、昭和61年(1986)に英勝寺のワビスケについての記載がありました。
“幹囲74.5cm、根回り80cm、幹は三岐し、それぞれ47cm、44cm、42cm。祠堂石段下にある。昭和38年鎌倉市文化財指定。”
ここでも品種について、「ワビスケの中のベニワビスケという品種で、花は一様に紅色で、斑が入らない。ワビスケの真品種は班入りの紅花を開く」とあります。
さらに調べると、昭和39年に籾山泰一が書いた『鎌倉樹木志畧』(鎌倉市教育委員会発行)のなかに、英勝寺のワビスケについての記載がありました。
“ワビスケ、幹は三岐し、a.幹47cm、b.44cm、c.42cm、根回り80cm。”
由来や、いつ頃からあるのかといった記載はありませんでしたが、「関東には珍しい大木だというので昭和38年鎌倉市の文化財になった」と指定の理由が記されています。さらに『鎌倉の文化財』、『鎌倉市文化財総合目録ー地質・動物・植物篇ー』同様、京都大徳寺総見院のワビスケ椿に言及しています。大きさは英勝寺のものは大徳寺の半分くらいであるとわざわざ書いているのは樹齢の目安にしようと考えたのかもしれません。ただし花については、紅花をつける、「大徳寺のも紅花で同じ品種に属すると思われる」と書かれています。
これら3つの資料を比べてみると、『鎌倉樹木志畧』は、鎌倉市が文化財専門委員会を発足して調査研究が行った成果報告として刊行されたものだということなので、『鎌倉樹木志畧』(1964)が元の資料であり、『鎌倉の文化財』(1972)、『鎌倉市文化財総合目録ー地質・動物・植物篇ー』(1986)は子引きか孫引きのようです。
ただし花については3資料に齟齬があります。
『鎌倉樹木志畧』(1964):
「大徳寺のも紅花で同じ品種に属すると思われる」
『鎌倉の文化財』(1972):
ベニワビスケという品種で三・四月ごろ、小さな花をたくさんつける」「京都大徳寺総見院の本当のワビスケと花の色が少し違う。京都のは、紅でもむしろ赤に近い色をしていて、白い大きな斑がはいるが、英勝寺のは純粋な桃色で班はない。総見院のものは利休遺愛と伝える古木中の古木で、北村四郎氏の計測によると幹のまわりは170cmもある。」
『鎌倉市文化財総合目録ー地質・動物・植物篇ー』(1986):
「ワビスケの中のベニワビスケという品種で、花は一様に紅色で、斑が入らない。ワビスケの真品種は班入りの紅花を開く」
大徳寺総見院のワビスケは「胡蝶侘助」という品種で、紅地に白斑が入りますが、時に紅花もでます。
わざわざ大徳寺のワビスケを引き合いに出したのは『鎌倉樹木志畧』の修正の意味があったのでしょう。
文化財に指定された1964年頃の英勝寺侘助(左)と現在2022年の英勝寺侘助(右)を比べると、やはり樹勢の衰えは否めません。由緒ある寺の銘椿として保全に力を入れていただければ嬉しいのですが・・・。
山門脇のワビスケ椿
山門の脇を見えると同じ花が咲いています。原木から挿木したものでしょうか。
山門の扁額は後水尾天皇の宸筆
立派な山門は、上層には釈迦如来と十六羅漢像を安置する国の重要文化財です。
説明書きをよく見ると扁額は後水尾天皇の宸筆と書いてあります。
御水尾天皇といえば、江戸初期の椿の愛好家として名高く、二代将軍秀忠の娘を妻に迎えており徳川家との縁も深い方。そして皇女多利宮(たりのみや/浄法身院宮宗澄尼)は、椿の名所として名高い霊鑑寺の開基です。ここにも椿の縁を見ることができました。
仏殿の牛と椿の彫り物
仏殿の軒下の蟇股は十二支の彫刻で飾られています。巧みな彫刻の中には牛と椿の意匠もありました。
2月にゆくと境内は見事に剪定された白梅が満開で、その清らかな香りが辺りに立ち込めてとても清々しい気持ちになりました。
<訪問日:2021年3月1日、2022年2月23日 晴天>
データベース
【名称】英勝寺侘助(えいしょうじわびすけ)(原木)
【大きさ・形状】幹囲74.5cm、根回り80cm、幹は三岐し、それぞれ47cm、44cm、42cm。
【樹齢】不明
【花、葉】花色は紫色を帯びた濃桃色、一重、猪口咲き、極小輪。
【花期】12~3月
【所在】神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3
【備考】
・拝観時間:午前9時~午後6時、大人300円
・定休日:木曜
・問合せ:0467-22-3534
【公式サイト】https://www.trip-kamakura.com/place/84.html
アクセス
- 鎌倉駅西口から徒歩15分
参考文献
- 最新日本のツバキ図鑑,日本ツバキ協会編,誠文堂新光社,2010
- 鎌倉樹木志畧,籾山泰一,鎌倉市教育委員会,1964
- 鎌倉の文化財,鎌倉市,1972
- 鎌倉市文化財総合目録ー地質・動物・植物篇ー,鎌倉市,1986
- 鎌倉市天然記念物:https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/documents/p47tennenkinenbutu.pdf
- 鎌倉市公式サイト 英勝寺:https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh_a07.html
- 鎌倉観光公式ガイド 英勝寺:https://trip-kamakura.com/place/84.html
- 文化庁 文化遺産オンライン 英勝寺:https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/270086