京都の市街地から鴨川、高野川沿いに北上し、若狭路鯖街道を進む山中の花尻橋を渡った場所に花尻の森(はなじりのもり)があります。この森はヤブツバキが多く見られる場所で、3月下旬〜4月上旬には数多の花を落とした落椿が地を赤く染めるのだそう。
花尻の森は、かつて大原の寂光院に隠棲した建礼門院を源頼朝が松田源太夫に監視させるために建てた屋敷址と伝えられ、また大原の江文神社の御旅所(神社の祭礼で神輿が巡行の途中で休憩または宿泊する場所)でもあります。
私が訪問した2016年4月12日は、樹上にも地面にも赤い椿の花がぽつぽつと咲いているくらいでした。花はすでに花が終わっていたのか、花が少ない年だったのか、あるいは氏子の方々によって掃き清められた後だったのかもしれません。それでもしんと冷えた山里の空気の中、朝日を浴びて佇む暗い森にヤブツバキが咲く様は、どこか厳かでした。
鳥居をくぐると鬱蒼とした木立ちで、ヤブツバキが数本、カヤ、ケヤキの大木があります。
花盛りの時期はこんな風に見えるのだとか。京都の写真家。水野克比古氏の写真集よりのお写真です。
花尻の森には、おつうという娘にまつわる言い伝えがあり、大蛇に変じたおつうの鎮魂の行事が今も続くと入り口の解説版に書かれています。こらが大原の蛇祭りのようで、藁で蛇を作り頭と胴は大原の乙が森に、尾は花尻の森に祀られるそうです。
大原の昔ばなし
むかし昔、大原の里におつうという娘が住んでおりました。ある日上洛の若狭殿さまの目にふれ、おつうは玉の輿、殿さまの国元に召されたのです。それはそれは夢ごこちの毎日を過ごしていたのですが、やがておつうが病にかかると殿さまの心も変わって、おつうは戻されてしまったのです。おつうは悲しみのあまり大原川の女郎淵に身を投じました。するとたちまち、その美しい姿は大蛇に変わりました。そしてある日、都入する殿さまの行列が大原の花尻橋を通りかかったところを襲ったのです。暴れ狂う大蛇は家来によって一刀のもとに切り捨てられましたが、その夜から激しい雷雨や悲鳴に見舞われました。恐れおののいた里人たちは、大蛇の頭をおつうが森に埋め、尻尾を花尻の森に埋めて霊を鎮めました。今でも大原の里にかかる朝もやは、大蛇の姿に棚引いていますし、花尻の森ではおつうの鎮魂の行事が残っています。
花尻の森 案内板より
データベース
【名称】花尻の森
【コレクション】 ヤブツバキ
【花期】 3月下旬〜4月上旬
【所在】〒601-1245 京都府京都市左京区大原戸寺町
アクセス
JR京都駅より京都バス京都 [17]大原(京都市左京区)行、「花尻橋」下車(約50分)すぐ。
参考資料
- 花尻の森 案内板
- 京都大原観光保勝会サイト:https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5644/
- 水野克比古写真 京椿,写真:水野克比古、文:渡邊武,京都書院,1991