文京区の目白台・関口にある肥後細川庭園のあたりは、かつて「椿山」と呼ばれる景勝地でした。ご近所には「椿山」からとって名付けられた「椿山荘」があります。 椿の花咲く頃となり、かつての椿山の面影を求めて関口付近に散歩に出かけました。
肥後椿の故郷、肥後ゆかりの庭園
肥後細川庭園は 今は文京区が所有する庭園ですが、江戸時代は大名屋敷、その後、細川家の下屋敷となりました。関口台地を山に見立て、巧みに地形を生かした立体的なつくりです。大きな池を廻る池回遊式庭園ですが、その水は台地の湧水を池に導いています。斜面側は背の高い木々の下に細い道がとおしてあり、開かれた眺望と山中の景色の両方が楽しめる庭です。
園内の各所に咲く椿
斜面側の高木の下の小径を歩くとヤブツバキの木が幾本もあることに気づきます。 明るい春の日差しに照らされて、 赤いヤブツバキの花は輝くように咲いています。今につながる椿山の風情が感じられました。
傾斜面から細い流れが池に注いでいます。そこには椿の花が。庭師の心遣いでしょうか。春まだ浅く冷たく黒い水を赤い椿の花が明るく灯ります。
ふいに一緒にいた母が地面に落ちていた椿の花を一つ拾って、ぽん、と流れに放り込みました。その気持ちわかります。
池周りにも何本かヤブツバキが植えられています。
肥後椿
今は市民の集会室となっている松聲閣(しょうせいかく)は、旧熊本藩細川家下屋敷の細川家の学問所として使用されていたようで、一時期は細川家の住居として使用されていました。
松聲閣の前の庭には、立派な赤い肥後椿が植えられています。
江戸時代、熊本藩六代藩主・細川重賢は、家臣の精神修養に園芸を奨励したことから武士たちの間で園芸が盛ん稲荷ます。その頃は肥後の花と呼ばれるものが30種ほどありましたが、1960年(昭和35)に昭和天皇の天覧を機に肥後名花会が発足し、四季を通して見ることができる六つの花を「肥後六花」と呼ぶようになったそうです。肥後六花には、肥後椿と肥後山茶花が含まれます。
肥後椿と呼ばれる品種群には独自の美意識に基づく共通した特徴があります。すなわち、
- 花弁は一重で平開咲き
- 雄しべは花芯部近くからよく裂けて梅の花のような梅芯(うめじん)
- 花形は整い調和がとれて清楚な感じで、色は濁りがない
といったものです。特に梅芯については重要だそうで、雄しべの大小、長短、色彩が品位に大きくかかわるのだとか。庭木としてだけでなく、盆栽として発達したことも特徴的です。
熊本では、江戸時代(天保年間(1831-1845)、藩の庇護の下で藩士や豪農で組織された「花連(はなれん)」という花を鑑賞する会が誕生しました。やがてそれは、椿、花菖蒲、菊、芍薬など花ごとに組織団体に発展します。
花連は西安戦争で解散となりましたが、昭和33年に「肥後椿協会」が設立し、現在も名花の保存、品種管理や育成などに励んでおられます。
肥後椿が、いつ、どのように誕生したのか、わかっていませんが、1830年に書かれた文献には30種が紹介されているので、これより数十年前には生まれていたと思われています。
園内には一本大き目の肥後椿が植えられています。訪問した2月には花はまだほとんど咲いていませんでした。その代わりにか、松聲閣の玄関に肥後椿の苗木がいくつか置かれていました。椿ファンとしては、この由緒正しき肥後の庭でもっと肥後椿を拝見したいところ。いずれ肥後細川庭園内に肥後椿のコレクションが見られるようになったら素敵でしょうね。
松聲閣の喫茶室「椿」
散策の後は庭園内の松聲閣(しょうせいかく)の喫茶室「椿」で抹茶と椿を象った練切を頂きました。普段は肥後名菓「加勢以多」が抹茶とともに出されますが、椿の季節にちなんで2月の日曜祝日には時別に期間限定で、椿の練切がいただけます。
とても愛らしくて美味しいです。護国寺近くの甲月堂のものだそう。
普段のお菓子はこちらの「加勢以多」。かつては幕府への献上菓子でもあった細川家秘伝の伝統菓子を菓子店の香梅が現代風にアレンジ。昔はマルメロのジャムを挟んでいましたが、今は花梨のジャムを使用。品のあるお菓子です。
喫茶室「椿」の床の間には、椿の図柄をいっぱいに描いた「花手箱」が飾られています。椿の花手箱は大きなものから小さなものまでサイズが様々です。
花手箱は、人吉に落ち延びた平家の武者が生活のために作ったのが始まりと言われます。はじめは里の人々と交換し、のちにえびす市で売られました。モミ、ヒノキ、スギなどの板で箱を作り、白く塗った上に、赤い椿の花を大きく描き、箱の縁を黒く塗ります。
ほかにも椿の花が描かれたもので、羽子板や、木で掘ったキジに車輪をつけた雉子車という玩具もあります。
花手箱と羽子板は女の子の、雉車は男の子のためのものです。
なぜ椿なのかわかりませんが、平家の赤旗にちなむという説もあるそうです。
そういえば安徳天皇を祭る平家ゆかりの水天宮の神紋も椿ですね。
松聲閣の2階に上がると、庭園が一望できる展望所「山茶花の間」です。その床の間に飾られているのは、山鹿灯篭(やまがとうろう)祭りで女性たちが頭に戴く「金灯篭(かなとうろう)」です。山鹿灯籠祭りは、景行天皇の九州巡行の伝説もある古い祭りで、浴衣姿の女性たちが頭の上に金灯篭を掲げて優美に踊る姿は幻想的です。 近年、海旅行者の関心も高いそうです。
その山鹿灯籠は地元の八女和紙を糊で貼って作られています。その八女和紙を作るのに、以前は椿の葉を使っていた、という話を聞きました。和紙を漉いた後で、板に紙を張り付ける時に、刷毛の代わりに椿の葉を使っていたそうです。
板に押し付けた時の圧力の感じがちょうどよくて、紙が固くなり、光沢が出るのだそうですが、今はもうこのような手間のかかる方法で八女和紙を作ることはないそうです。
入り口のサザンカと椿
松聲閣の入り口前には立寒椿が植えられています。1月に来たときは見頃でしたが、2月はすっかり花が終わっています。咲くツバキによって季節の移り変わりを感じます。
庭Cafeトークやイベント、ガイドツアー
文京区立肥後細川庭園の松聲閣(しょうせいかく)では、「庭Cafeトーク」という文毎月個別のテーマで化と自然を楽しむ講座が開かれています。日本文化に軸を置いたこれらの講座は、より深い知識を得ることで日本文化の奥行きに気づかせてくれる楽しみとなるでしょう。これまで行われたテーマは、「日本のあかりの美学」「日本庭園に秘められた特質と魅力」など、なかなか渋くて面白そうです。私も2020年2月に「日本人と椿の文化」をテーマにお時間をいただきました。>「庭Cafeトーク vol.10「日本人と椿の文化」を開催しました。」へすでに新型コロナウイルス広まりつつある中、細心の配慮をもって行われました。
肥後細川庭園ではそのほかにも能楽、狂言、落語などの伝統芸能の鑑賞会といった日本文化の触れることのできる催しが頻繁に開催されています。庭園の鑑賞も、一度ボランティアガイドツアーに参加すれば、庭の魅力にぐっと近づけそうです。一つ一つの試みが、この庭を魅力的で豊かな時間を過ごせる場所にしてくれているように思います。
現在はイベントは中止となり松聲閣の利用も、庭の見学もできなくなっています。新型コロナウイルスが鎮まり庭園や庭Cafeトークに安心して参加できる日が早く来ることを願います。
<訪問日:2020年1月21日晴れ、2月22日(土)晴れ、2023年3月12日(日)晴れ>
<2020年4月17日作成、2023年7月23日更新>
データベース
【名称】文京区立肥後細川庭園
【コレクション】ヤブツバキ、肥後椿、入り口に山茶花
【花期】12月にサザンカ、2〜3月にツバキが咲く
【所在】〒112-0015 東京都文京区目白台1-1-22
【備考】
・開園時間:
日本庭園:2月から10月まで : 午前9時から午後5時まで (但し、入園は午後4時30分まで)11月から1月まで : 午前9時から午後4時30分まで(但し、入園は午後4時まで)
松聲閣(しょうせいかく): 午前9時から午後5時まで
・休園日:12月28日から1月4日
・問合先: 03-3941-2010 (代表)
・公式サイト: 文京区立肥後細川庭園
アクセス
- 東京メトロ有楽町線:江戸川橋駅下車(徒歩15分)
- 都電荒川線:早稲田駅下車(徒歩5分)
- Bーぐる:目白台一丁目下車(徒歩5分)
- 都営バス:早稲田下車(徒歩5分)
- 都営バス:ホテル椿山荘東京前下車(徒歩7分)
参考文献
- 文京区立肥後細川庭園 :https://www.higo-hosokawa.jp/
- 新装普及版 日本人形玩具辞典,斎藤良輔編,東京堂出版,1997
- 肥後椿,平塚泰蔵,誠文堂新光社,1965
- 熊本の貴重な宝「肥後六花」:https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/64400.pdf