京都府の日本海に面した丹後半島の内陸部に位置する与謝野町。その奥滝地区の山道を少し上ったあたりに「千年椿」はあります。樹高9.7m、枝張り・南北14m、東西13m、幹回り(字際)3.26mの堂々たる姿は見る者を圧倒します。国内有数の椿の巨木であり、1989年に京都府天然記念物に指定されました。
樹齢1000年といわれるヤブツバキの巨木
初めて「滝の千年椿」を見た時、その大きさに感嘆するとともに、整った形をしていると思いました。年月を経た巨樹は強風に負けて歪んだり、嵐や落雷で大きな枝を損なったり、日光の当たる方位によって成長が偏ったり、また人家の側にあっては人の都合で切られたりして、樹形を大きく損なってしまうことがあります。それに比べてこの椿は樹冠を小山のように広げて、素直で堂々たる立ち姿をしていました。斜面にしっかり根を張って幹を支え、その上に広がる樹冠は斜面下から見上げると裾野を左右に広げた山のよう。斜面に立って横から見ると、山側より斜面下側の方が樹冠の裾がやや長く枝が伸びていて、一度盛り上がってから下側に向って流れるように伸びる様子は、ちょうど流造の神社の屋根のようです。とても悠々として美しい木です。
今は周りの木々を伐採して地面を整備した状態ですが、もともとは山中で他の木々に囲まれていた木。周囲の木々と身を寄せ合うことで雨風や雪から守られたのかもしれません。
滝の千年椿には悠々とした姿ともう一つ大きな特徴があります。それは鮮やかな濃赤の花色。地元では昔から黒椿、紫椿と呼ばれていたそうです。私には紅色は極めて濃いものの、くすみはなく発色のよい濃厚な赤色に見えます。咲く時期や気温によって花色が変化するのかもしれません。
いずれにせよとても濃い花色をしています。ヤブツバキは日本中に自生していますが、地域によって、あるいは個体によって、花の色や大きさ、開き方、葉や実の大きさや形などが少しづつ違います。この地域のツバキが全てこのような色かというとそうではなく、すぐ近くに生えている他のツバキの木の花と比べると一目瞭然。明らかに周囲のツバキと異なる赤色の濃さと鮮やかさがあります。つまり千年椿の花色はこの木の遺伝子に刻まれた個体の特徴なのだと言えます。
山中にあるこの千年椿に会うには、駐車場で車を降りてから山道を数百メートル歩きます。登り道ですが2016年の全国椿サミットを機に遊歩道が整備されました。林間の道は次第に急な登りになるものの、ほどよく日差しがあって明るく、歩くことが苦ではない道です。そして左右に立ち並んだ背の高い木々の先に、ぽっかりと目当ての椿の巨樹が姿を現します。
まるでブロッコリのようなシルエット。林間を抜けると日本最大級、最古といわれる千年椿が視界いっぱいに広がります。
既に花の盛りは過ぎていましたが、根元にたくさん濃赤色の落ち椿を残していました。一時は弱って枯死も危ぶまれましたが、今は樹勢も戻ったようで、地元の方によると、花の最盛期には樹冠が赤く染まるほどだそうです。
3度の訪問と千年椿の変遷
初めてこの椿を知ったのは1994年(H6)、『FOCUS』という写真週刊誌でした。グラビア見開きで、暗闇に灯が灯っているように真っ赤な花をいっぱいに付けた巨大な椿の写真に息をのみました。当時、巨樹を見ることを楽しみとしていた私はいつか行きたいと熱烈に思いましたが、私の住む東京からは不便なその場所に簡単に行ける筈もありません。なので、その時は、まさかその後3度も千年椿に会いに行けるとは思っていませんでした。
最初の訪問は1995年(H7)5月2日でした。やや時期が遅く花は終わりでしたが、それよりも樹勢が落ちていることに愕然としました。以前に見た写真週刊誌や、地元の加悦町の方にいただいた写真と比べても、花付き、葉の茂り具合、その差は歴然です。柵を作って見学路を整備して木を傷めないよう保全の配慮がされていたのでなぜなのか不思議でした。
翌1996年(H8)の加悦町椿まつりに合わせて4月第3日曜日に行きました。折しも加悦町椿文化資料館がオープンし、加悦町ツバキまつり’96開催の日、巨樹を取り巻く柵は紅白幕で彩られています。しかしその中に立つ巨樹は相変わらず弱々しく、花の盛りだというのにほとんど花が見えません。幹にむしろが巻かれ、枝を支える支柱が立てられていました。「滝の千年ツバキ保全・保護工事について」という案内板があり、読むと昨年春に主幹部の根元付近に大きな亀裂が生じたとのこと。ようやく昨年見た時に樹勢が弱っていた理由がわかりました。
案内板には加悦町と滝区椿保存会が、樹木医の診断に基づいて損傷の拡大を防止する保全保護工事を施したとのことでした。その方法は、幅約2㎝、長さ約80cmの縦の亀裂に薬剤散布とパテ埋めによる治療工事、そして亀裂が生じた主幹部の荷重をできるだけ軽減するために支柱を立てたそうです。支柱を立てる際には、東西南北に張り巡らされた根を傷付けないように細心の注意をはらったとのこと。保全工事により以前と千年椿の景観が若干変わったことへの理解を訴える文章が綴られていました。地元の方々のこの椿への愛着を感じ、樹勢回復を願って後にしました。
そして3度目。2016年4月10日にとうとうこの地で全国椿サミットが開かれ、11年ぶりに千年椿に会いにゆくことになりました。元気に回復した滝の千年椿に会えたことは本当に嬉しいことでした。
千年椿の名付け親と椿文化資料館
ところで「千年椿」が本当に千年生きているかどうかは誰にもわかりません。樹木の正確な樹齢は木を切り倒して年輪を数えなければ測れないからです。にもかかわらず案内板には推定樹齢1200年と書かれ千年椿とあだ名されるのは、京都の椿研究家として著名な渡邊武氏(財団法人京都園芸倶楽部評議員、薬学博士、1913-2004))が見立てたことに由来します。
この木の存在は地元では昔から「ムラサキツバキ」として知られていましたが、1986年(S61)に富山興業株式会社加茂正三氏により見出され、日本国内でもまれな巨木であることがわかりました。そして1988年(S63)に渡邊武氏により日本一のクロツバキと鑑定を受け、世に知られるようになったのです。
渡邊氏は『ジャパン・カメリア』29号にて、「樹齢を推定すると、恐らく千年を下らないものと考えられる」と述べています。ツバキが326cmの幹回りに成長するのに1000年を要するかということには異論もあるでしょうが、千年という歳月を生きた椿の木という物語を与えられたことで、滝の千年椿は地域にとっても、椿好きにとっても大切な椿の木の一つになったと言えると思います。
地元では1991年(H3)より「滝の千年ツバキまつり」を毎年4月中旬頃開催しています。花盛りの頃に地域の方々が集まって、花を愛でながら楽しんでおられるようです。
1996年(H8)に千年椿の木を含む地域、廃村大田和(おおたわ)に「滝の千年ツバキ公園」が自然公園として開園されました。同年、加悦椿文化資料館開館しています。また同公園周辺は2007年(H19)には、「丹後天橋立大江山国定公園」に指定されました。
加悦椿文化資料館(開館時加悦町椿文化資料館)は、千年椿の資料とともに名付け親ともいえる渡邊氏が寄贈した椿コレクションをはじめ、椿に関する品が多数、展示されています。
2016全国椿サミット与謝野大会と各地で育つ千年椿
2016年与謝野町で第25回全国椿サミット与謝野大会が開催され、多くの人が千年椿を見に訪れました。全国椿サミットは椿愛好家をはじめとした椿の関係者が一同に会する国内最大のイベントであり、毎年、日本本全国から数百人の人々が集まります。
その際にお土産として千年椿の苗が配られました。
今後各地に持ち帰られた千年椿は、やがて成長してそれぞれの場所で濃赤な花を咲かせてくれることでしょう。私の勤める会社の敷地でも千年椿が育っています。早ければ来年くらいには花が見られるでしょうか。楽しみなことです。
<訪問:1995年5月2日晴れ、1996年4月14日晴れ、2016年4月10日晴れ>
データベース:
【名称】滝の千年ツバキ(滝のツバキ、ムラサキツバキ)
【大きさ・形状】樹高:9.7m、幹周り:3.26m、枝張り:m、
【品種】ヤブツバキ
【樹齢】1200年と言われる
【花、葉】花:重、筒芯、中輪、濃赤や濃紫紅色
【花期】3月下旬〜4月中旬
【所在】京都府与謝郡与謝野町字滝小字深山316
【アクセス】京都丹後鉄道 宮豊線 与謝野駅から車・タクシーで約10分、山陰近畿自動車度(鳥取豊岡宮津自動車道)「与謝天橋立IC」より国道176号で約20分
【備考】京都府指定天然記念物(1989年/H1)、新・きょうと名木10選(1989年/H1)、京都の自然200選(1991年/H3)
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参考文献:
阿部幹雄写真, 樹齢探検96号 大江山の麗「ツバキの里」の「千年古木」,FOCUS 平成6年4月27日号,新潮社.1996
滝の千年ツバキ説明板.1996
加悦町ツバキまつり’96のご案内,加悦町,1996.
渡邊武,ジャパン・カメリア29号,日本椿協会.(S63)1988
第26回全国椿サミット与謝野大会パンフレット, 第25回全国椿サミット与謝野大会実行委員会,2016