【椿の名所】等持院の有楽椿

【椿の名所】等持院の有楽椿

夢窓疎石作と伝わる等持院の庭に降りて左手に茶室清漣亭、右手に池を見ながら小高い場所に向かって伸びる細い通路を登ると、京都随一の樹齢を誇る有楽椿に辿りつきます。

有楽椿 等持院20190202

池を見下ろす小山の苔むした土の上、ぽとりぽとりと落ちた薄桃色の椿の花が散らばっています。きっと落ちたままに残されて置かれているのでしょう。

有楽椿 等持院20190202
有楽椿 等持院20190202

等持院の有楽椿は、高さ約10m、根元の幹回りは100cmくらいで地上85cmから三又に分かれています。樹齢約400年と言われます。
花色は青みがかった薄いピンク色。寒の内から花をつけ始め春先まで咲きます。その花が落ちて苔むした地表を彩る様子はまた良い風情です。

訪問したのは2月1日でした。1月終わり頃から3月中旬にかけて花が咲くそうなので花の盛りには早かったようですが、見上げれば梢のそこかしこにちらほらと花が咲いています。

有楽椿 等持院20190202_
有楽椿 等持院20190202
有楽椿 等持院20190202_
有楽椿 等持院20190202_
有楽椿 等持院20190202

等持院の由来

臨済宗天龍寺派等持院は足利尊氏が夢窓疎石を招いて暦応4年(1341年)に創建しました。後年、幕府の地にあった等持寺もこちらに移して、足利将軍家歴代の菩提所とされます。足利尊氏の墓所や足利将軍家14代までの歴代将軍の木像を納める等持院は由緒あるお寺です。
今は山門から入り口まで家が立ち並び、背後は立命館大学があるといった具合に、現代の建物に囲まれてこじんまりした敷地に収まっています。それでも夢窓疎石作と伝わる庭に入ると、急に静かさを感じるので不思議です。

等持院と有楽椿

有楽椿は等持院創建時の1341年からここにあった訳ではありません。戦火や火災に見舞われますが、豊臣秀頼が再建。その時にこの椿も植えるよう指示したと言われます。今あるこの木が樹齢約400年というのはそこからきているのでしょう。

京都や西日本で有楽椿と呼ばれる事の多いこの椿は、関東では太郎冠者とも呼ばれます。有楽椿の名は信長の弟で大名茶人として名高い有楽斎こと織田長益が好んだ事から付けられたと言われます。有楽椿は茶の湯の花としても使われますから、茶室の隣とはふさわしい場所に植えられたと言えるかもしれません。そして有楽斎は秀吉ら豊臣家に出仕していたので、秀頼が等持寺再建に際して有楽斎にゆかりのある有楽椿を植えさせた事にも繋がりを感じます。

有楽椿 等持院20190202

<訪問:2019年2月1日晴天>

データベース

【名称】臨済宗天龍寺派等持院
【花期】1月終わり頃から3月中旬
【所在】〒603-8346 京都市北区等持院北町63番地
【備考】
・参拝時間:9:00~16:30(16:00受付終了)※12月30日~1月3日は9:00~15:00(14:30受付終了)
・年中無休
・問合先: TEL.075-461-5786
・公式サイト: http://toujiin.jp/index.html

アクセス

・京都市営バス10,26系統「等持院南町」下車、徒歩約8分
・京都市営バス12,15,50,51,55,59系統,JRバス「立命館大学前」下車徒歩約10
・京福北野線「等持院駅」より徒歩10分

有楽椿 等持院20190202_
有楽椿 等持院20190202_

参考文献

  • 京都新聞Web版,2017年02月05日23時18分
  • 臨済宗天龍寺派等持院パンフレット

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