【椿の名所】満願寺の玉椿と椿襖絵

【椿の名所】満願寺の玉椿と椿襖絵

宍道湖を望む松江の満願寺は弘法大師開祖と伝わる古刹です。戦国時代には毛利元就が尼子氏との合戦時に陣を敷いたとされ、その元就が植えたと伝わるのが玉椿と呼ばれる古木です。また満願寺には縁起を題材にした椿の屏風絵があります。

満願寺玉椿

満願寺の玉椿は、元は周囲150cm、樹高約5mあり、庭に大きく傘を広げていたそうですが、年々樹勢が落ち、2018年に訪問した際、先日の雪で大きな枝が折れてしまったと住職から伺いました。

玉椿は永禄7年(1565)に毛利元就お手植えの伝承が残ります。正しければ樹齢は450年以上になります。胴回りから樹齢を推算すると、150cm÷3≒樹齢500年となるのでほぼあっているのではないでしょうか。

玉椿 満願寺20180310
玉椿 満願寺20180310
玉椿 満願寺20180310
玉椿 満願寺20180310
玉椿 満願寺20180310
玉椿 満願寺20180310

椿友達のツアーで訪問し金田範由御住職のおもてなしを受けました。室内に飾られた写真で見る玉椿の往年の姿は堂々たる古木でした。「木全体に赤く花が咲き、鮮やかでした」と金田住職は懐かしみます。現在その雄姿を見られないことは残念ですが、敷地内の各所に二世を育てているそうです。

また公式サイトによると、この椿は安藤芳顕氏によりイタリアの椿協会会長アントニー・セレベシ博士に送られたとのこと。今頃イタリアで花を咲かせているのでしょうか。

もう一つ、白椿の古木もあったそうですが、こちらも本堂建て替えの際に枯れたので、現在その子供たちを育成中だそうです。

境内には山陰のヤブつばきも200本以上あります。

また近年、園芸品種の鉢植え椿を増やして飾り、その数は240種にも及ぶとか。様々な椿が来る者の目を楽しませてくれます。

玉椿 満願寺20180310
玉椿 満願寺20180310

玉椿その後

(2024年3月追記)2018年から6年後の2024年に再び訪問した時に玉椿の古木は健在でした。傍には「日本ツバキ協会認定 優秀古木椿第19号」の立て札も立てられています。金田御住職も変わらずお元気そうで、ますます椿熱は高まった模様です。2024年には新たに椿の天井絵が寺の名物として加わっていました。

満願寺玉椿 20240310

椿の襖絵

玄関を入ると真正面に4面の襖いっぱいに描かれた巨大な椿が出迎えてくれます。よく見ると右端に人のような姿の椿の妖精が。

椿襖絵「椿の妖精(椿一輪)」満願寺玄関の間20180310
椿襖絵「椿の妖精(椿一輪)」満願寺玄関の間20180310

足元に目を転じると畳縁も椿柄で、これには「我が家の畳も」と色めきたつ声が上がりました。毛利元就ゆかりの玉椿の寺としての意気込みが感じられます。

高野山真言宗金亀山清浄院満願寺の歴史は古く、平安時代、淳和天皇の御代(828~832)に真言宗の開祖、弘法大師空海上人によって開山しました。その縁起が本堂に至る途中の部屋の襖にろうけつ染めで描かれています。

縁起によると、空海上人は杵築(出雲)大社へ参拝しようとこの地を通った時、山頂からの眺めがあまりに風光明媚で清らかであったことから暫く逗留することにしたそうです。逗留中に刻んだのが満願寺の本尊である聖観世音自在施無畏菩薩座像でした。入仏加持開眼供養をするとに、わかに宍道湖の水面がざわめきたち、水柱と共に数尋の竜神が現れました。空海上人が竜神に向かって仏道を説くと、竜神は五色の大亀と変じ、背に金の釜を負って大師に捧げました。

この不思議な出来事に空海上人は、この清浄の地である神国出雲に来て祈願が通じ満足したとして、この寺を金亀山清浄院満願寺と名づけたられたのだそうです。

襖絵は全部で4題あります。工芸作家の藤田佳子氏の手によるもので、全てに椿が描かれています。

玄関の間は、「椿の妖精(椿一輪)」(襖4枚)

椿襖絵「椿の妖精(椿一輪)」満願寺玄関の間20180310
椿襖絵「椿の妖精(椿一輪)」満願寺玄関の間20180310
椿襖絵「椿の妖精(椿一輪)」満願寺玄関の間20180310
椿襖絵「椿の妖精(椿一輪)」満願寺玄関の間20180310

中の間は、「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」(襖10枚)。この部屋の正面鴨居上には「椿の光背と聖観」の絵もあります。

椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310
椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310
椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310
椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310
椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310
椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310
椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310
椿襖絵「元就白椿(湖にうつる水天と白椿」満願寺中の間20180310

縁起の間は、「金亀山清浄院満願寺縁起・襖絵」(襖8枚)

椿襖絵「金亀山清浄院満願寺縁起・襖絵」満願寺縁起の間20180310
椿襖絵「金亀山清浄院満願寺縁起・襖絵」満願寺縁起の間20180310
椿襖絵「金亀山清浄院満願寺縁起・襖絵」満願寺縁起の間20180310
椿襖絵「金亀山清浄院満願寺縁起・襖絵」満願寺縁起の間20180310

書院の間は、「玉椿と不動尊」(襖4枚)

椿襖絵「玉椿と不動尊」満願寺書院の間20180310
椿襖絵「玉椿と不動尊」満願寺書院の間20180310

寺の縁起や毛利元就を題材にした絵には白椿が、大椿と不動明王の絵には赤椿が描かれていました。ヤマモモの汁を使ったという赤い染料は退色していましたが、のびのびとした絵柄が縁起の世界観に良く合っており、見ごたえがありました。

椿襖絵「玉椿と不動尊」満願寺書院の間20180310
椿襖絵「玉椿と不動尊」満願寺書院の間20180310
椿襖絵「玉椿と不動尊」満願寺書院の間20180310
椿襖絵「玉椿と不動尊」満願寺書院の間20180310

椿の天井絵

2024年3月に訪問した時に、本堂向拝格天井の椿の彫刻を拝見しました。

縦横9つに区切られた格天井に、1枚の大きさが38.5cm四方、厚さ5cmの檜材に椿の花などが彫刻された81枚の板が嵌め込まれ、本堂向拝の天井から参拝者を見下ろしています。彫刻は鳥取県倉吉市の仏師小谷和彦氏の手によるもの。彩色は金田住職ご自身がなさったとのこと。

彫刻絵81枚の内訳は、東を青龍、南を朱雀、西を白虎、北を玄武と四神が取り囲み、四方を、地天、水天、火天、風天がを囲み、その中を44種類44枚の椿、中央には蓮花台に乗った「阿(ア)」の梵字。阿字で表されるのは真言密教の根本仏である大日如来です。
 
椿の彫刻の一つ一つは品種の特徴がわかる精巧かつ実に美しい出来栄えでです。しかも板の厚みが5cmもあるので立体的であり圧巻です。白木に咲く花は花弁と雄しべだけに岩絵具で彩色されているので、花の鮮やかさが余計に引き立って見えました。いくら見ても見飽きない素晴らしい花椿の天井絵です。

お土産にいただいた天井絵のクリアファイルと彫刻の配置図を載せておきます。

それぞれの椿彫刻をじっくり見たい方は公式Facebook「つばき寺 満願寺」をご覧ください。

https://www.facebook.com/matsuemanganji/

境内の椿

境内には毛利高お手植えと伝わる玉椿をはじめ、山陰地方の椿や薮椿などが200本以上あります。毎年、春彼岸ごろから4月いっぱい花を楽しむことができるそうです。3月には鉢植えを展示してあり拝見できます。開花時期よりやや早く訪問したので、いつか満開の頃に行きたいと思います。

 

古木の大銀杏

古刹である万願寺には、満願寺開基の頃、つまり天長9年(832)よりあると伝わる古木の大銀杏があります。古くは出雲観音霊場札打巡拝者や観音信者の目印とされたそうで、度重なる落雷にも朽ちることなく寺の火難除け・雷除けとされてきました。目通り周囲5.2メートル、かつては樹高20メートルとの堂々たるでしたが、枯渇と落雷で今はやや小さくなっています。

万願寺から宿への移動はちょうど日没頃となりました。「嫁が島越しにみる夕日が一段と綺麗ですよ」と案内してくれた地元の椿友の言葉どおり、宍道湖に沈む落日の景色は心にしみる情景でした。

<訪問日:2018年3月10日 晴れ、 2024年3月10日 晴れ>

データベース

【名称】満願寺玉椿
【大きさ・形状】元は周囲150cm、樹高約5m、庭に大きく傘を広げていたが、年々樹勢が落ち、2018年の雪で大きな枝が折れた。現在は枝の広がりも盛りの四分の一ほどになっている。
【花、葉】花は濃桃色、八重咲、中輪。
【樹齢】約500年
【花期】 花の見頃は3月中頃~4月初旬
【所在】〒690-0122 島根県松江市西浜佐陀町879
【備考】
・問い合わせ:0852-36-8483
【公式サイト】https://matsue-manganji.jp/

参考文献

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