「お杖椿(おつえつばき)」の名はこの木にまつわる伝説によります。南北朝時代、戦いに敗れた新田義宗が四国まで落ちのびた時のこと、疲れ果てた義宗のために家来が椿の木を切って杖を作りました。この地に辿り着いて杖を地に刺すと根が出て育ち、「お杖椿」「新田椿」と呼ばれるようになりました。根回りが5.1m、高さ10mという愛媛県随一のヤブツバキの大木です。
愛媛県一の椿の大木
松山市内からバスで今治方面へ向かう途中、奥道後を経て山間部に両新田神社の境内にあります。鳥居の手前の開けた場所の奥まった場所にお杖椿は立っていました。尋ねたのは12月で花は咲いていませんが、濃緑の葉をつけた枝を、やや傾けた傘のような形で広げていました。木の前には小さな祠と、日本語と英語で書かれた解説版がありました。広がった樹形を数本の支柱が支えています。
木は単幹ではなく太い細い幹が10本近く地際から四方八方に広がっています。現在の木はひこばえが育ったものだそうです。中心部の親木は枯渇し、空洞となった跡が残っているそうですが、根元は土が盛られ、更に石が積み上げられていて見ることはできませんでした。
根回りは5.1m、高さ10m、枝張りは東西13m、南北14.5m。
花盛りは4月終わり頃、やや遅いのは山間部だからでしょうか。開花期には全株が無数の花で被われそうです。
お杖椿の伝承
大椿のある両新田神社の祭神は新田義宗(にったよしむね)と脇屋義治(わきやよしはる)です。南北朝時代、南朝方の新田義貞の三男・義宗は敗戦の将となり従兄弟の脇屋義治と共に伊予の豪・族得能家を頼って落ち延びます。応永10年(1403年)に共に当地で亡くなり、後に河野通直が義宗を上新田廟、義治を下新田廟の二廟を建立して祭り、後年合祀されて両新田神社と改めたのだそうです。
境内の椿の大木は、その頃の歴史にまつわる伝承から、御杖椿、新田椿と呼ばれます。
南北朝時代、戦いに敗れた新田義宗が従弟の脇屋義治らとともに四国まで落ちのびたとき、
疲れ果てた義宗のために家来が椿の木を切って杖を作りました。この地に辿り着いて杖を土に刺したところ、根が出て育ち、やがて成長して「お杖椿」「新田椿」と呼ばれるようになったと言います。
現在の木はその親木から出たひこばえだと言います。愛媛県一の椿の古木に育ち、1973年に松山市の指定天然記念物に指定されました。
<訪問日:2023年12月4日 晴れ>
データベース
【名称】両新田新田のお杖椿(りょうにったじんじゃのおつえつばき)
【品種】ヤブツバキ
【大きさ・形状】元の木は枯死し現在の木はひこばえが育ったもの。根回り:5.1m、1
0本の大小の支幹が八方に出ている。樹高:10m、枝張り:東西13m、南北14.5m、樹形:やや垂れ下がって傘状に広がる。
【樹齢】不明
【花、葉】赤い筒咲き、大輪
【花期】花盛りは4月終わり頃
【所在】愛媛県松山市河中町295
【備考】
・松山市指定天然記念物 1973年8月19日指定
・見学は自由
・問合せ:松山市文化財課(文化財保護担当)電話:089-948-6603、E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp
【公式サイト】
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/shi/kawanaka_tsubaki.html
アクセス
・松山市内から、瀬戸内バス、(特急)「今治~松山線・今治桟橋行き(奥道後経由)」で約36分、「河中」下車、徒歩2分。
参考文献
・松山市公式サイト 市指定文化財 椿1本:https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/shi/kawanaka_tsubaki.html
・愛媛県神社庁 両新田神社:http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=4553
・伊予路の椿守り 愛媛の秀花、愛媛新聞文化部・伊予つばき同好会、愛媛新聞社、1985