萩の椿東にある毛利家の菩提寺・東光寺。藩主らを祀った墓所の右手奥には椿の古木「宮様つばき」があります。真紅で一重の花弁に赤い唐子の椿は「紅唐子」と言われ、地衣類や苔に覆われた姿には古木の風格が漂っています。
東光寺について
萩の鎮東にある黄檗宗護国山東光寺は、元禄四年(1691年)に萩藩三代藩主 毛利吉就公が開基となって創建された毛利家の菩提寺です。由緒ある寺院の敷地内には国指定重要文化財の建造物が4件あり、毛利家墓所を含め境内が史跡に指定されています。
黄檗宗は中国の僧・隠元禅師を宗祖とする禅の一派です。中国福建省福州の古刹黄檗山萬福寺の住職であった隠元禅師は日本の禅者の要請に応じて承応3年(1654)に来日して京都に黄檗山萬福寺を創建し、中国明朝の禅の様式を伝え、大きな影響を与えました。そのほかにも隠元豆や西瓜、蓮根、孟宗竹、錦明竹などさまざまな植物を日本に持ち込みました。
御霊屋(おたまや)の宮様つばき
東光寺の御霊屋(おたまや)と呼ばれる墓所には3代から11代までの奇数代の藩主と夫人の墓が並び、その墓碑へ伸びる参道には家臣らが寄進した500基もの石灯籠が並びます。整然と整った荘厳で美しい空間です。石畳を進むと右手奥に赤いものが見えます。全体に石ばかりの墓所内で、赤く咲いた椿の色はとても目立つのです。
宮様つばきは、7代重就と11代斉元の墓碑前の石の鳥居の間に立っていました。鳥居の高さを大きく超えて、上に覆いかぶさるように枝葉を広げて花を咲かせています。細い枝先にたくさん咲いた赤い花は重たげに下を向いていました。
長年の風雪に耐えた樹皮は地衣類、苔、草まで生えてぼろぼろです。幹は地際30cmあたりから4本に分かれたあと、それぞれ四方に伸びています。苔や地衣類に覆われてよくわかりませんが、接木されているように見えます。根元の幹回りが1.7mあるといいます。
根は石に阻まれて地中に潜り込めないのでしょう、地表にむき出しになり、のたくりながらも必死に地面にしがみついています。その根から元気そうなひこばえが生えていました。
花は濃朱紅色の一重に唐子咲きですが、花の大きさは通常の紅唐子よりもずっと大きいことが目を引きました。唐子に白色が混じっており、通常のように紅一色ではありません。もしかしたら別の品種か実生の後代の木なのかも知れません。
樹齢は「東光寺」のパンフレットによると400年、「萩の椿」やガイドの方によると270年と諸説あります。
「宮様つばき」の由来
東光寺のパンフレットには「紅唐子の椿について」として、宮様つばきについて次のように書かれています。
「樹齢四百年といわれ、昔は八丁御殿という萩市内の邸宅にあったものを七代藩主重隆(しげたか)公の代に、現在の場所に植え替えたといいます」
『東光寺』パンフレット,護国山東光寺,1992
「八丁御殿」は萩藩主の別邸「南園御殿」です。毛利重隆(1725ー1782年)の時代に植え替えたなら移植後200~300年経っていることになります。
「宮様つばき」の呼び名は、9代藩主斉房(なりふさ)の正室が有栖川宮織仁親王の娘・幸子(栄宮)であることが京都の銘椿「紅唐子」がもたらされたのではないかと『萩の椿』には書かれていますが、定かではありません。時代的に東光寺のパンフレットの「七代藩主重隆(しげたか)公の代に、現在の場所に植え替えた」という記載とも異なります。
いつから、なぜここにあるのか、今のところ確認する手立てはありませんでした。
謎に満ちた「宮様つばき」ですが、歴代藩主の墓碑の前に立つ姿はひそり立つ墓守のようであり、霊を慰める供物のようでもありました。
<訪問日:2023年3月19日 晴天>
データベース
【名称】宮様つばき【大きさ・形状】幹周り:170cm
【樹齢】270年、400年 【花、葉】花形:、花径:、花色:花は濃朱紅色の一重に唐子咲き
【花期】3月~4月上旬
【所在】〒758-0011 山口県萩市椿東1647
【備考】営業時間:8:30~17:00、年中無休、拝観料300円
【公式サイト】https://www.toukouji.net/
アクセス
・JR「東萩」駅より車で5分
・JR「東萩」駅より萩循環まぁーるバス(東回りコース)「東光寺前」バス停より徒歩1分
・中国自動車道「美祢東JCT」から小郡萩道路に入り「絵堂IC」より車で20分
・山陽自動車道「防府東IC」より車で50分
参考文献
- 東光寺パンフレット,護国山東光寺,1992
- 東光寺公式サイト:https://www.toukouji.net/about/nature/page/2/
- 萩の椿,吉松茂,萩市,初版1984年(S59)・改定3版1994年(H6)
- 最新日本のツバキ図鑑,日本ツバキ協会編,誠文堂新光社,2010