頼朝の別荘、椿の御所
源頼朝は風光明媚な三浦の地に三つの御所を設け、それぞれに桜、桃、椿の名を付けました。
その一つ「椿の御所」に頼朝は側室を住まわせ、庭内は椿の花で埋まるほど植えてあったそうです。今では椿は数えるほどしか残されておらず、往年の様子を垣間見ることは難しいのです。
大椿寺
頼朝の没後、側室の女性は尼となり妙悟尼と称して頼朝の菩提をなぐさめ、三十余年をここに過ごしたと伝えられています。のちに大椿寺が建てられました。
境内には北原白秋が近くに住まいを構えたことや大椿寺を訪れて詠んだ歌が案内板に記されています。
「大きなる椿の樹ありあかあかと
ひとつも花を落とさざりけり
山椿照りしずもれる真昼時
小僧むっつりと坂下り来も」
北原白秋
本尊は十一面観音菩薩像で、コトバンクには「三浦古尋録」に運慶作とある秘仏、開基は妙悟尼、開山は旭永、鎌倉建長寺の末寺であったが、寛文八年(1668)京都妙心寺派に属した(三崎志)と載っています。
境内には三浦三十三観音霊場第四番を示す石碑があります。
<訪問日:2024年2月23日 曇り>
データベース
【名称】椿の御所、大椿寺
【所在】〒238-0233 神奈川県三浦市向ケ崎町11-1
【備考】
・営業時間:午前時~午後時、入園料無料
アクセス
・京浜急行三崎口駅からバス「城ヶ島行き」、椿の御所下車、徒歩5分
参考文献
・案内板
・コトバンク 大椿寺:https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%A4%BF%E5%AF%BA-3046283
・三浦三十三観音霊場 大椿寺:http://www.m33k.net/4.htm