千葉市美術館 田中一村「椿図屏風」

千葉市美術館 田中一村「椿図屏風」

田中一村(1908−1977)といえば、「アダンの海岸」や「不喰芋と蘇鐵」などに代表されるような奄美大島の亜熱帯植物や景色をテーマにした作品が思い浮かびます。その画風からは、若かりし頃の一村が、田中米邨(たなかべいそん)の画号で南画家として活躍していたことは想像できません。

それまで描いていた南画と訣別した頃の1931年(昭和6年)、24歳の時に描かれたのが「椿図屏風」です。

「椿図屏風」田中一村(1931年)
「椿図屏風」田中一村(1931年) 『田中一村 千葉市美術館収蔵全作品』より

絹本金地着色、二曲一双の金屏風。左隻(させき)は金無地、右隻(うせき)には画面を覆い尽くすように椿の花と葉が描かれており、さらに隙間を埋めるように白梅が描かれています。一隻は無地でもう一隻はこれでもかと盛られた椿の花、花、花。極端な構図が醸し出す迫力は異質でさえあります。それまでの南画を捨てて新境地に向かおうとしてた若い一村の挑戦、というにはあまりに必死で切実な思いが感じられる作品です。

描かれた椿は2種類。

一つは、八重の牡丹咲きで絞り模様のツバキ。多数の花数で画面の多くを占めています。華やかな印象で覆輪のように見えるので「光源氏」でしょうか。

もう一つは、赤い一重のツバキ。花弁は平たく全開して、黄色い雄しべは丸く円を書いています。真っ赤な花弁とのコントラストが美しい。花糸は白いので「赤本阿弥」あたりでしょうか。

ちなみに「椿図屏風」が描かれた当時の画号はまだ米邨で、一村と名乗るのは後の1947年に「白い花」が川端龍子主催第19回青龍社展に入選した時からです。

この「椿図屏風」を所蔵するのは千葉市美術館です。田中一村は千葉市に20年住んでいました。その間の最大の支援者であった川村家に多数残された作品・資料を千葉市美術館が譲り受け一大コレクションとなしますが、その中に「椿図屏風」もありました。

同美術館では2010年に「田中一村 新たなる全貌」展(千葉市美術館ほか)が開催されました。それから10年ぶりの田中一村展。2021年1月5日から 2月28日の「田中一村展 ―千葉市美術館収蔵全作品」(千葉市美術館拡張リニューアルオープン、開館25周年記念、千葉市制100周年記念、川村コレクション受贈記念)は、その名の通り、千葉市美術館のコレクション総てを初めて一堂に展示したものです。50代に奄美大島に渡るより前の画家の側面を見ることができました。

椿にまつわる作品としてもう一つ、帯留めが展示されていました。種を割って彫刻し、色彩を施したものです。大きさは3.1cm×4.2cm。その小さな作品の裏面に、「花落家僮未掃 乙亥米邨」と王維の詩「田園楽」の一節が書かれています。1935年(昭和10年)の作品です。

帯留「椿」田中一村(1935年)
帯留「椿」田中一村(1935年)『田中一村 千葉市美術館収蔵全作品』より

「田園楽」  王維

桃紅復含宿雨
柳緑更帯春煙
花落家僮未掃
鶯啼山客猶眠

桃は紅にして復た宿雨(しゅくう)を含み
柳は緑にして更に春煙(しゅんえん)を帯ぶ
花落ちて家僮(かどう)未だ掃(はら)はず
鶯啼いて山客(さんかく)猶お眠る

色彩鮮やかな田園の春の情景が目に浮かぶ詩。どこか懐かしさと朗らかさ、憧れんのような感情を感じます。

帯留めの裏に書かれた「花落家僮未掃」は「花は庭先に散っていても 召使はいまだ掃除をしていない」

その庭に落ちた花として一村が心に描いたのが椿だったのでしょう。

参考文献

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