霊峰富士の裾野にして優雅な別荘地帯、家康の御殿が作られた御殿場が、「ヤブツバキの里」であることはあまり知られていません。この地にヤブツバキが多くある理由について、役小角が富士の麗にヤブツバキの花が咲いたら美しいだろうと思い種子を蒔いた、という伝説があります。
ランドスケープデザイン、もしくはインスタ映えとでも言えましょうか。
伝説の真偽はさておき、御殿場は椿が美しく彩る椿の里であることに間違いはありません。
御殿場の椿Map
御殿場に点在する椿の名所は以下のとおりです。
★印の名所には別途に詳細記事があります。
①東山旧岸邸の太郎冠者★
御殿場市東山1082-1
②東山つばきガーデン (松岡別荘陶磁器館)★
御殿場市東山1082-107
③秩父宮記念公園★
御殿場市東田中1507-7
④吾妻椿(吾妻神社)
御殿場市御殿場196
⑤上米野椿(うわっこめのつばき)★
御殿場市杉名沢248-8 ※個人宅
⑥岩の沢水音親水公園
御殿場市上小林1024-5
⑦神山自然公園
御殿場市神山1114-1
⑧高根ふれあい広場
御殿場市山之尻640
⑨ヘルシーパーク裾野近くの丘
裾野市須山3408
役小角の椿伝説
役小角(えんのおづぬ)は奈良時代の呪術者で、役の行者(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれます。修験道の開祖とされますが、伝説が多く、実態は良くわかりません。文武天皇3年(699年)に人心を言葉で惑わすと讒言されて伊豆大島に流罪となります。伝説では日中は大島の行者窟におり、夜になると海を渡って富士山で流罪が解かれるように祈祷したそうです。その甲斐あってか2年後には恩赦により大和国葛城上郡茅原郷(茅原村)(現在の奈良県御所市茅原)に帰ることができました。
御殿場に残る富士山と椿の伝説では、夜な夜な富士に飛来する役小角が、大島に咲く真紅の椿の花で霊峰富士の麗を飾れば、山ももっと美しく気高くなるに違いないと思い、大島の椿の種子を撒いたというのです。やがて椿は育ち、役小角の思った通り富士山を美しく彩るようになったそうです。(「御殿場の民話・伝説」より)
日本ツバキ協会の2019年カレンダー4月は、赤い花の咲いた椿の向こうに白く雪を纏った富士山がある写真です。撮影場所は御殿場の椿の名所の一つ、 ⑧高根ふれあい広場 です。晴天時にはグランドを取り囲む椿越しに、 まさにこのような構図 で富士山が見えるそうです。これを見たら役小角も喜ぶでしょうか。
御殿場と椿について
静岡県の御殿場市は、徳川家康が居城であった駿府から足柄を経て江戸への往来のための宿泊所が作られたことをその名の由来に持つ都市です。実際に家康の御殿として使われることはありませんでした。
御殿場発祥の地が今の吾妻神社あたりとされ、ここには「吾妻椿」と呼ばれる樹齢150年ほどの古木があります。(財)日本ツバキ協会優秀古木椿に認定されており、市民から縁結びの椿として慕われているそうです。
御殿場の古い住居付近をまわると目につくのが椿の木です。中には樹齢300年はあろうかという古木も見られます。多くは生垣や敷地の境に見られます。かつて御殿場の住居では屋敷の周囲に壁のように木を植える「シセキ」と呼ぶ屋敷林を仕立てる風習がありました。シセキを切ることを禁じられた子孫まで受け継ぐものであり、家の新旧もシセキの古さで判断しました。とても大事なものなのだと分かります。
シセキには、多くは杉や桧を植えましたが、屋敷沿いに川が流れているような家では、ほとんどの家で囲い木に椿を植えていました。これは土止めと防火を兼ねていました。
実からは油も採りました。椿はとても実用性に優れた木でした。椿油は珍重されたようで収穫や絞り方などの記録も残っています。(『御殿場市史 別巻Ⅰ 考古・民族編』)
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