都立大島高校 ジェニファー氏の講演

都立大島高校 ジェニファー氏の講演

ジェニファー・トレハン氏は椿愛好家の国際団体である国際ツバキ協会(International Camellia Society,ICS)の前理事であり、園芸家、作家、イギリス王立園芸協会(RHS)椿専門委員を務める方。今回、はるばるイギリスから来日したのは、椿をはじめとする大島の文化について取材し、英国王立園芸協会「The Garden」10月号の記事にするためです。来島に併せて、伊豆大島の都立大島高校で記念講演が行われました。

ジェニファー氏が伊豆大島に来られるのは2度目。2年前の2015年10 月に国際ツバキ協会による国際優秀椿園の認定審査のために理事として来島し、東京都立大島公園、東京都立大島高校、椿花ガーデンの3つの椿園を視察しました。その結果、翌2016年2月中国大理で行われた国際ツバキ大会において3園すべてが「国際優秀椿園(International Camellia Gardens of Excellence)」に認定されました。
これは名誉であるばかりでなく、大変珍しいことです。なぜならば国際優秀椿園には一定の認可基準があり、これをクリアしなければなりません。現在、世界中で43箇所あり、うち5箇所は日本の九州の4県にあります。伊豆大島という小さな場所に3園もあることの特異さがわかります。さらに大島高校の椿園は、世界で唯一、学校という教育機関が所有する椿園です。このことが意味するところは、伊豆大島は地域の教育に根付いた椿の文化がある場所ということです。
2年前の来島時、ジェニファー氏は私たちの会社にも立ち寄られました。曇天の寒い日でしたが、1927年から続く当社、大島椿の店舗と搾油施設を熱心に見学され、社長が大島の椿油の歴史と、その椿油と共に歩んできた当社の話に熱心に耳を傾けていました。彼女は伊豆大島を単に椿が多く自生する場所としてではなく、人々が暮らしの中で椿油や椿の炭といった生活資源を生み出し、椿の巨木を大切にし、椿と共に生きる文化を育んだ場所として捉えているようでした。彼女は伊豆大島を「椿のすべてがある場所」と言いました。

ジェニファーさんの講義
9月22日(木)午後、都立大島高校でジェニファー・トレハン氏による講演が行われました。世界各地の椿が大写しのスライド写真と共に紹介されました。
タイトルは「Around the world of camellia」。ジェニファーさんが30年もの椿人生の中で見て来た世界中の椿についての話です。ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)の小説『80日間世界一周』(Around the World in 80 Days)をもじったタイトルのようですね。大島高校農林課の高校生をはじめ、一般の人も聴講に訪れました。

英語による講演に日本語の通訳付きで行われました。以下はその内容を聞き書きしたものです。

<以下はその内容>

スタートは香港から。ビクトリアパークにてオレイフェラ(Camellia oleifera)の話です。東洋の真珠と呼ばれる香港を見下ろすビュースポットでもツバキを見ているあたり、さすがです。オレイフェラはユチャとも呼ばれ、種子から油を採ることで知られます。昔、中国では椿油を採ったが花への関心が低かったこと、チャも長年利用されていることなどを紹介していました。
斑入りのカンツバキの古木について、中国のライオンヘッド(カンツバキ、獅子頭)と紹介。600年くらい作られていて、「このライオンヘッドの木が特別なのは他のツバキが接ぎ木されていること」。撮影時に既に樹勢がよくなかったが今は枯死した模様。そのため保全についても触れ、「フェンスと肥料のやりすぎは良くない」と話していました。
次はイギリス。1792年に中国から初めてイギリスにやっていたツバキ、アルバ・ブレナの花を紹介。100年以上前の温室「カメリアハウス」は、イギリスの寒い気候から椿を守るために作られたもので、建造時に植えた椿の木もまだあるそう。その後イギリスでツバキが広まり、イギリスで一番有名なエレガンスはイギリスで作出された品種だという紹介。

ポルトガルには椿は1800年前半に輸入されました。ポルト市には有名な椿の羽衣があります。ヨーロッパにツバキが入ってきたとき、日本語の名前が呼びにくいので現地で呼びやすい名前が付けられることが多かったそう。「羽衣はマグノリアフローラと呼ばれていました。けれど日本人が〝これは羽衣です〟と訂正して回ったので、今では私たちもハゴロモと呼びます」と笑っていました。
フランスのツバキの写真では、教会の墓地の中に立つ大きなツバキの樹についての逸話が紹介されました。1930〜40年代の戦争(第二次世界大戦と思われます)時、多くの椿は切られてマキにされたがこの木は墓地にあったので残されたのだそうです。

ニュージーランドの写真は、一見日本の森の中のような景色で、いかにも高温多湿な気候を思わせます。この森は、昔は為政者の庭だったそうで、ICSがそこで発見した椿のDNAを調べたらイギリスのツバキと同じだった、とのことでした。その木がいつ頃イギリスから持ち込まれたのかはわかりませんが大きな木に見えました。本国から移住したイギリス人が持ち込んだのでしょう。アジアから地球を半周してイギルスへ渡り、さらに赤道をまたいで南半球まで旅した椿に不思議な感慨を覚えます。
同じツバキでもオーストラリアやニュージーランドでは思いもよらないツバキの光景が広っているようです。ツバキが大きなユーカリの木下で育てられていたり、マングローブのすぐ近くに植わっているツバキがあったり。牧場の境界線にツバキを植えているところもあるそうです。もっとも羊がツバキの葉を食べてしまうのであまり役に立っていないそうですが。
中国で森の中、大島高校の敷地ほどの狭い場所で、ピタルディ(Camellia pitardii、西南紅山茶 )、サルウィンシス(Camellia saluenensis、サルウィンツバキ)、レティクレタ(Camellia reticulata、ヤマトウツバキ)を見たことは驚きの体験だったそう。
驚きといえば、標高約9000フィート(約3200m)の気温がマイナス2℃の地点でも生きているツバキも驚愕したよう。寒さに負けず花は綺麗で、葉が細く中折れしている。葉が樋のような形はしているのは水が溜まらないようにするためではないかとジェニファーさんは考えているようでした。
イタリア北部のツバキも寒さに耐えているようですが、寒いので火を焚くのだそうです。
北アメリカのミシガン州はさらに寒くマイナス15℃にもなるとか。韓国から輸入したCamellia.Japonicaは、それでも蕾がたくさんついているそうなので驚きました。ちゃんと生きていけるのですね。
「サザンカはクリスマスに咲くイメージ」とジェニファーさんに言われて自分のイメージとのギャップに驚きました。サザンカに寒風のイメージはあってもクリスマスとは結びつかなかった・・・。面白いですね。
「1993年のクリサンタ(Camellia chrysantha、金花茶)との出会いは感動的だった」とジェニファーさんは感慨深げに述べていました。暗い森の中、金色に輝くような花を見出した時の喜びは実際に体験した方でなくてはわからないものでしょう。
多くの品種を輩出していることで知られるヌッチオ農園では、カルフォルニアの強い日差しを避けるために椰子の木下に苗木を置いているそうです。別の農園ではカルフォルニアカシの木陰で苗木を育てるそうです。
日本について、彼女は過日の訪問の際に日本ツバキ協会の篠田理事宅に招かれたことに触れて親しみを見せました。また大島のツバキ園である都立大島高校の椿園を世界でただ一つ教育機関がもつツバキ園である重要さを指摘し、椿花ガーデンには世界で最も素晴らしい椿の庭園の一つであるという賛辞を贈りました。

それはまるでジュール・ベルヌの小説と同じに、気球に乗って地球を旅して椿を見て歩いているような1時間半でした。

ジェニファー・トレハン氏は伊豆大島を、「ツバキのすべてがある島」「小さいけれど、世界で一番ツバキについての様々なことがある場所」と言い、深い愛情と理解を示しました。そして、「私が大島を世界に連れて行く」とおっしゃいます。日本の大島を世界の人々と共有すべき価値がある、特別な椿の場所として捉えている。そのことに深い感動と感謝を禁じ得ません。
「椿の島、伊豆大島を世界に連れて行く」
その言葉は日本人の私たちこそが示すべき意志であると思います。来年2月にジェニファーさんは再び大島にいらっしゃるそうです。その時、今よりも少しでも世界に開かれた伊豆大島でありたいものです。2017/09/22

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